各種報告
~繋がりを大切に~ 老舗店の経営者と診断士 二足の足袋を履く 永森経理部長

 今回は城南支部の経理を支える永森経理部長にお話を伺いました。総務部内から部として独立したばかりの経理部 初代部長になられたのが永森部長です。永森部長は城南支部の経理を統括されるという重責を担われる一方、明治創業の老舗足袋屋の6代目という店主としての顔もお持ちです。

 一足目の足袋として老舗店の店主の面、二足目の足袋として診断士としての面をもたれ、診断士と地元の繋がりを大切にされる永森部長の人となりに迫りました。

 

■創業明治3年 伝統の足袋と和装肌着の専門店
 永森部長の一足目の足袋、店主をされているご実家の永澤屋足袋店は、足袋と男性用和装肌着の専門店、浅草の新仲見世通り、六区寄りの公園通りを雷門側に入ったところにあります。暖簾も場所もまさに老舗店。明治3年創業で、初代の店主は士族の方で江戸時代は火付盗賊改方をしており、明治時代に入ってから足袋を扱われていたそうです。一般的には武士の商法とも言われてしまいますが、二代目店主が腕の良い職人で家業を軌道に乗せ、戦後、永森部長の祖父が足袋からダボシャツなど和風肌着に事業を拡大、永森部長で6代目になるそうです。

 4代目の祖父、5代目のお父様は、お店の奥でどっしり座られていて馴染みのお客さんがよく来られていたのを覚えているとのこと。44町内会から100基の神輿が渡御する浅草の大祭 三社祭(浅草神社例大祭)には、全国から担ぎ手が集まり永森部長のご実家の永澤屋足袋店で足袋や肌着を買い込んで祭りに参加されていたそうです。テレビで見る三社祭の担ぎ手さんのダボシャツや足袋は永森部長のお店の品ばかりかもしれません。今度、三社祭を見るときには担ぎ手の足元や肌着に注目です。

 永森部長はご実家を継がれるために診断士の資格を取得されたものだと思い込んでお話を伺っていたところ、「診断士になっていなかったら家業を継がなかったかもしれない。」とポツリと意外な一言をおっしゃいました。

■生まれも育ちも浅草 不正経理は見逃さない江戸っ子経理スペシャリスト
 生まれも育ちも浅草生まれの永森部長は、野球はもちろん地元巨人軍、元木や仁志など大スターではないのですが、いぶし銀な活躍をする選手が大好きでクラスでは少し浮いていたそうです。プロレスも大好きで、小学校4年生から藤波辰爾(ドラゴン藤波)の大ファン。相手に応じて柔軟に対応でき、ライバルの長州力に比べれば地味だけどクレバーなところに魅かれたそうです。

 永森部長は、実家を継ぐまで音響・映像機器メーカーで約20年間、決算、債権債務管理や原価計算など経理業務全般を担っていました。国内外の生産(工場)、営業(営業所)、ITなど間接部門に至るまで幅広く担当し、不正経理処理防止などに努められました。江戸っ子の永森部長が鬼平 長谷川平蔵のように目を光らせていた光景が思い浮かびます。ただ、中国の取引先からの債権回収に関するお仕事では商習慣や文化の違いから大変、ご苦労されたとのことです。

■診断士資格取得が家業を継ぐきっかけに
 永森部長の二足目の足袋、診断士は、実家を継ぐこととは関係なく純粋に経理の専門家として視野を広げスキルアップするために勉強し合格しました。仕事が忙しく、診断士としての活動はなかなかできなったとのことですが、城南支部の財務診断研究会に参加。どんなにお仕事が忙しくとも診断士としての繋がりを絶やさないよう心掛けました。そんな繋がりから診断士としての仕事の声がかかるようになり経験を積み、また診断士としての活動に関わることができたそうです。

 勤めていた会社を辞め次の仕事に挑戦しようとした、まさにそのとき、お父様が急逝されたそうです。お父様から一切、家業について継いで欲しいとも、継いで欲しくないとも言われたことがなく悩みましたが、診断士としての経験を活かせると考え家業を継ぐことを決心されたとのことです。

 「私が家業をつぐことについて父がどう思っていたのか、家業を継いだ今、どう思っているのか知りたい」とおっしゃっていました。お父様は足袋や和装業界は縮小傾向で職人も高齢化しているので、ご自身の代でお店を終わりにするつもりだったのかもしれないとのことでした。

 家業を継ぐとしてもまだ先のことと思われていたため、お店のことは父から聞かされておらず、職人さんや馴染みのお客さんから家業の進め方を少しずつ教えて頂きました。ここでも老舗のお店とそのお店を支える方々との繋がりの大切さを実感されたとのことです。

■財務・経理からITまで
 老舗店の経営者と診断士の二足の足袋を履かれた永森部長は、ご自身の経験を伝え、またさらに研鑽をつむためファミリービジネス研究会や城南支部の財務診断研究会で活動する一方、IT 利活用研究会にも参加し、診断士としての幅を広げることを心掛けています。そのような活動の中で、財務診断研究会の繋がりから城南支部の総務部の仕事のお誘いがあり、そこから経理部が独立して初代経理部長になられました。経理は城南支部のお金の流れから会全体の活動を俯瞰することができるとてもやりがいがある活動である一方、お金を扱うので高いコンプライアンス意識が求められる仕事でもあると伺いました。

■コロナに負けない 地元を盛り上げる
 一足目の足袋である老舗店の店主としての面と、二足目の足袋である診断士としての面を活かして、地元を盛り上げる活動をされています。具体的には、浅草の商店街で会計監査を担当する役員になり診断士としての知識と経験を活かして地元商店会を盛り上げています。いずれ地域イベントも企画したいとのこと。また台東区診断士会の一員として上野・浅草の小売業の経営戦略、マーケティング戦略立案など地域中小企業支援に注力。コロナ下でどうしても活気がなくなりがちですが、地元商店街が元気であってこそのお店の経営であり、何よりも助け助けられての緩やかな水の流れのような関係を残していきたい。そして、親族でなくてもお店の伝統を守ってくれる方に継いで欲しい、と力を込めておっしゃられていたのが印象的でした。

■新診断士に対するメッセージ
 新診断士、特にかつてのご自身と同じ企業内診断士に対しては、まず城南支部や研究会など診断士の集まりに参加し、少しでも人との繋がりを作って欲しいとのアドバイスを頂きました。企業内診断士は、企業での仕事が忙しいとつい診断士としての活動から足が遠いてしまいがち。ほんの少しでも研究会などに顔を出して診断士としての活動を気長に続けることが重要。また、上から目線で試験勉強や学校で習った知識をひけらかすことなく、相手の立場・目線に立った支援を心がけるようにとのメッセージを頂きました。

■最後にストレス解消法
 経営者・診断士として活動し疲れた時には、地元を散歩するとのことです。明治以来の老舗店の6代目、江戸っ子の永森部長でも、まだ見たことがない景色を発見し写真に収められることもあるそうです。

 診断士としての観察力をお持ちで、地元への愛と繋がりを大切にされる永森部長らしいエピソードでインタビューを締めくくりたいと思います。

 
 

【筆者紹介】

大池 俊輔(おおいけ しゅんすけ)
2020年 中小企業診断士登録。総合化学メーカーに勤務する企業内診断士 
“知財で社会を元気に”知財デザイナー
弁理士(付記)
東京工業大学院 理学修士、University of Washington 法学修士

22/03/12 23:12 | 投稿者:羽田巧

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