「100年に1度」と言われる大規模再開発が進む渋谷で100年以上人々の暮らしを支え続けている会社があります。その名もスターヒューズ社。明治通り沿い並木橋近くにあるヒューズの製造と販売を行う会社です。
創業から100年目を迎えた平成29年に事業承継により就任した3代目社長は、中小企業診断士(以下、「診断士」と表記)の資格を有しています。今回は、“診断士社長”柳田覚(さとる)氏(39)に、老舗企業の経営に資格がどのように役に立っているか語っていただきました。
【会社概要】
会社名: スターヒューズ株式会社
代表者: 代表取締役社長 柳田 覚(さとる)
所在地:東京都渋谷区東2-22-14 ロゼ氷川801
創 業: 大正5年(1916年)
WEBサイト http://www.star-fuse.com/
昭和50年頃のスターヒューズ社
―御社の概要について教えてください
当社は、主に3つの分野の製品を扱っています。各家庭や工場などの建物の配電盤に使われる「配電用ヒューズ」(売上構成比約40%)と、ビルや店舗などの火災時に排気ダクトからの延焼を食い止める防火ダンパー用の「温度ヒューズ」(同約50%)の製造と販売、その他に鉛製品などの卸や小売り(同約10%)を行っています。
スターヒューズ会社紹介パンフレット抜粋(一部筆者加筆)
当社の主力商品である防火ダンパー用のヒューズは、ダンパーメーカーが生産する様々なダンパーに適合するよう設計されたカスタムメイドの製品です。設計通りに防火ダンパーのヒューズを作用させるためには、取り付ける環境に応じた材料強度・熱の伝わるスピードなどを考慮して、部品の大きさや厚さなどの細かな調整が必要となります。これらの長年培ってきた「金属加工技術」や「合金製造技術」が、独自のノウハウとなり我が社の最大の強みとなっています。
―創業から現在に至るまでの“100年”の歩みを教えてください
大正5年(1916年)に、祖父が渋谷で創業して、今年で104年目になります。
先進的なものに興味があった技術者の祖父が、今後の電気ヒューズの国内市場の可能性に着目し製品化したことが会社の始まりです。
創業からの製品である「つめ付きヒューズ 」は、以前は街の電器店で売られている身近なものでした。昭和50年に父が2代目として経営を継いだ頃には、代替品の普及などもあり配電用の電気ヒューズ市場は、既に成長のピークをむかえていました。
そこで父は、ある一定の温度で金属が融ける配電用ヒューズの特性を生かした「温度ヒューズ」という新市場を開拓し、現在の防火ダンパーヒューズの販路を拡大していきました。栃木県・那珂川工場を設立し、現在も生産・出荷を一貫して行っています。3代目として私が代表となった現在も、渋谷に本社を構え事業を行っています。
現在でも保守用製品として活躍する「つめ付きヒューズ」
―老舗企業の“事業承継”はどのような形で行われたのですか?
私は大学卒業後9年間別の製造業の会社で働き、父に呼び戻される形でスターヒューズ社に入社しました。
父は家庭で仕事の話をしない人だったので、一度も「後を継ぐ」ことに関して私と話をしたことはありませんでした。呼び戻された際にも、事業承継に関しては一切、明言されませんでした。(私自身には内心、後継者意識はありましたが…。)
一方で、父には株式移転などの事業承継の「形作り」は計画的にリードしてもらいました。経営について具体的な引継ぎはなく、一任されているところが大きいですがフォローをうけながら3代目として経営を行っています。
―診断士の勉強を始めたきっかけは?
実のところ、入社当時はヒューズ業界に関してはほとんど知識がなかったうえ、市場性についてもあまり良いイメージを持っていなかったため、自社の将来に明るい未来が描けていない状態でした。
その上、経験豊富な高齢社員が組織の中心で、「昔はトラック3台出荷していたけど、今は3箱だけだよ…」などの昔話をしながら、皆さん定時の5時30分にはきっちり帰られます。
30歳過ぎで実家に戻った経営素人後継者の私は、独りぼっちでただ時間を持て余しており不安が募る毎日でした。そんな時、以前から気になっていた診断士の勉強をすれば、“もしも”の時に備えて「会社のたたみ方」も学べるのかな?と思い、会社近くの(渋谷の)予備校に通い始めました。幸いにも、入社2年目に一次・二次ストレートで合格でき会社も畳んでいませんが、当時はそれくらい時間を持て余し、不安が募っていたのだと思います。
―診断士の資格を取得して何が変わったと感じましたか?
何といっても判断力です。日々の経営には様々なトラブル、難題が次々に降りかかってきます。
診断士の勉強をしたことで「経営」の全体像が見渡せるようになり、解決の手順や優先順位が理論(セオリー)としてわかったのが一番の成果だと思っています。
また、活動の範囲が広く様々な方を巻き込んで仕事をする診断士の姿を見て、外部との連携が重要であることにも気づきました。
老舗企業の経営者は長い間、生き抜いてきた分、とかく一人で何とかしようとする傾向が強いと思います。ですが、経営環境が目まぐるしく変化する現代においては、外部の力を借りることにより迅速に状況を改善できることを実感しています。
例えば、我が社でもHPを公開していますが、これまでは情報発信が十分にできておらず、お客様からの同じような問い合わせに応えなければならない状態でした。しかし仲間のアドバイスを受け、HPにユーザーの問い合わせが多い内容やその回答を掲載したところ、これらの質問に対応する時間が省け、随分と効率化ができました。
―先代から引き継いだ“大事にしたいこと”は何かありますか?
祖父と父が築いてくれた「従業員第一」という社風は、大事にしていきたいと痛感しています。具体的には我が社にとって「技術の承継」は、今とても大事なことですが延長雇用を活用して、70歳代の大ベテランの先輩方に技術の継承に協力してもらっています。これができるのも今まで従業員を大事にしてきた組織風土があったからこそだと思っています。
三代目の“診断士”社長 柳田覚(さとる)氏(39歳)
―3代目が描く100年目以降のスターヒューズ社の未来は?
創業者の祖父の時代は「配電用ヒューズ」で会社の基礎を築き、父の代には、既に成熟市場であった「配電用ヒューズ」のノウハウを土台にして「防火ダンパーヒューズ」という新市場を開拓してきました。現在でも「配電用ヒューズ」は、ある一定の買い替え需要が存在します。
さらに、「防火ダンパーヒューズ」は、消防検査の厳格化や昨今の温暖化の影響などもあり、より一層の精度が求められています。この外部環境の流れは当社にとっては追い風です。
また、ヒューズには様々な種類の金属を使用しますが、環境規制が徐々に厳しくなってきており、使用できる金属も限られてきています。その限られた種類の金属を使ってヒューズとしての性能を出していくことには、我が社のコア技術である「金属加工技術」や「合金製造技術」が活かせると考えています。
私は「ヒューズ」にとらわれず、「ある一定の温度で金属が融ける」という特性をコントロールする技術そのものが、何か他に使えるのではないかと考えています。まだ答えは見つかっていませんが、きっとこの技術は応用が利くものだと信じています。
―最後に渋谷の老舗企業としてメッセージをお願いします
100年続けると、地域の異業種の方たちとのつながりも多く、渋谷という地域がわが社に求めることに貢献したいという意識が生まれます。
渋谷というと、新しいものが注目されがちですが、昔から守り続けている変わらないものもあることを皆さんに知ってもらいたい。
そのためにも、モノ造り企業の「古き良き渋谷の代表」として、皆さんに思ってもらえるような会社にしていきたいと思っています。
取材:令和元年12月19日
インタビュアー:阿部 隆、磯島 康郎