各種報告
元メガバンクの支店長はなぜ被災地に寄り添うのか? 川居副支部長

 今回のインタビューは能力開発推進部及び研究会部を所管する川居副支部長である。その人となりを伺うために、川居副支部長(以下 副支部長)のホームタウンである世田谷に赴きお話を伺った。

  

■超難関の希少資格を有するその理由

 副支部長のプロフィールを拝見し最初に目を引くのは、その保有資格の多さである。診断士の他にも超難関の希少資格を保有して経営者の皆様の支援に当たっている。CTP(認定事業再生士)、1級ファイナンシャルプランニング技能士等、筆者が把握できたところで9種類。
 この多岐に渡る資格保有の背景を伺ったところ、「銀行員には専門性が無い」という持論の下に自分の専門性を磨き上げるべく多種多様な資格保有に至ったとの事。銀行員こそ、しかも副支部長の様にメガバンクの支店長を歴任された方ならば、十分に 経営者の悩みに寄り添って診断士としての能力を遺憾なく発揮されるのではないか?と訊ねてみた。しかし副支部長ご本人は「そんなに大そうなものではない」と至って謙虚に、物静かに語る副支部長。
 ゆったりとした時間の流れる世田谷の喫茶店で穏やかに語り始めた副支部長であるが、そんな今に至るまでには、バンカーとしての並々ならぬ経験を積まれてきたヒストリーがある。

 生れも育ちも東京世田谷の副支部長は幼少のころから社交的でよく遊ぶお子さんで、中学高校時代には陸上競技に打ち込み、1,500mでは学内歴代1位を獲得。まさに文武両道を体現した生徒であった。社会人になりマラソン2時間台(いわゆるサブスリー)を目指した時期もあったが、さすがに趣味の域を超えると思い直し、今では趣味のジョギングとして世田谷近郊を走るこの頃である。
 大学を卒業し三井銀行(現三井住友銀行)に入行した副支部長は、銀行のルーティーンでもある最初の3年間で幅広い銀行業務の経験を積み、融資のプロとしての道を歩みだす。
 そんな中、阪神淡路大震災から1年経った神戸本部に転勤する。


高校のマラソン大会で活躍する川居副支部長(中央)当時から背が高い

■冬空に輝く神戸ルミナリエの光

 震災後1年を経た1996年の神戸は、依然、道路は波打ち市街地でも空き地が目立つなど、その傷跡は生々しく癒えていなかった。副支部長は旅館業担当として被災した有馬温泉などの観光事業者を訪問し、神戸の観光事業の立て直しに奔走する。地元の食材を使って観光客に提供する等の地産地消の勧めなど、まさに二次試験の事例IIで出題されそうな課題を金融の力で後押しし、神戸の観光復興に尽力していった。この頃から副支部長は「現場」の大切さを痛感するようになる。旅館の実態を経営者の方と一緒になって解決するために、実際に旅館に宿泊し、経営者に寄り添いながらもバンカーとしての熱い議論を交わしていった。かかる多忙な毎日を送る中で、神戸で迎える最初の12月、神戸ルミナリエの点灯を目の当たりにする。電気も途絶えた震災から2年も経たず、未だ傷跡は各地に残る中でも、「やればできる、がんばろう神戸」という地元の人たちの復興への力強い思いを皆で確かめ合った瞬間であった。

■日本のものづくりの中心で診断士を目指す

 東京に戻った副支部長は支店融資などの本店勤務を経て大森支店に転勤となる。大森支店は、大田区近隣を管轄する。言わずと知れた日本の” ものづくり”を支える中小工場の集積地だ。副支部長も多くのものづくり中小企業を担当し、優秀な技術はあるも経営力が不足する中小企業の現場を数多く見てきた。技術に関しては何時間でもお話できる社長も(且つ、この社長のお話に付き合う事が融資獲得の要であるが)、経営の話をし始めると途端に「あとは経理宜しく」として経理担当に任せっぱなしで工場に戻ってしまう社長。そんな会社が経営難に陥っている様子を多く見るにつけ「こういった会社をサポートできるのではないか?」と思い始めた副支部長は診断士を目指し、2009年に診断士に合格する。合格した副支部長ではあったが、「さて何から始めようか?」と診断士1年目は考えあぐねており、診断士活動は割とスロースタートであった。そんな中、東日本大震災が2011年3月に起きる。


銀行員時代の川居副支部長(左上)ピースサインが決まっている

■気仙沼バルと復興への思い

 当時、テレビの映像を通じてその被災の衝撃は心に残っていたが、自分に何が出来るのか、副支部長は模索していた。きっかけは、Face book(FB)だ。当時FBは日本で浸透しつつあり「友達」「いいね!」を広げていく事が時代の最先端であった。副支部長も大学同期のつながりをFBで広げていると、友達の友達に大学同期で気仙沼にて被災地ツアーを個人的に開催している小野寺亮子氏と巡り合った。同じ頃、副支部長が参加していた診断士による異業種交流会でも「被災地で何かできないか?」と、議論されていたこともあり、「まずは出来る事から行動を起こしてみよう」と考え、小野寺氏と共に診断士による気仙沼ツアーを企画・開催した。
 ツアーには、「できることから始めよう」を合言葉に34名の診断士が集まり、気仙沼の3つの仮設商店街でアンケートを実施し、ツアー後に分析と提言を行っている。ここから気仙沼バルが動き出す。当初は自分たちで開催する事は考えておらず、イベント業者にお願いするつもりであった。しかし気さくで前向きな気仙沼の方々より「自分たちでやりたい。一緒に手伝ってもらえないか?」と要請され、全てが手作りのイベントとして動き始めた。費用集めから当日の運営まで、全くゼロからの活動であったが、各業種から参加している診断士の持ち味を遺憾なく発揮して何とか第1回目の気仙沼バルを成し遂げた。大変だった分、終った時には本当に関係者の皆さんに感謝の言葉しかなかった。(詳しくは「企業内診断士、被災地での挑戦 「気仙沼バル」成功の裏側」(同友館)をご覧頂きたい。)

 思えば、神戸の復興も「がんばろう神戸」を合言葉にオリックスが優勝し神戸ルミナリエが点灯、街の復興のシンボルとなった。この復興への思いと感動は、副支部長の心の中のどこかで東北にもつながり、気仙沼バルに結実した。困っている人を見ると助けずにはいられない、副支部長の優しい気持ちが被災地の現場に向かわせてる。


気仙沼バルの仲間と(2列目右より4番目)

■コロナ禍に求められる診断士とは?

 現在は独立し、「お悩み解決!何がお困りなのか?」をモットーに、テニスの壁打ちよろしく診断先の企業経営者との会話を続ける副支部長。

 停滞する厳しい経済状況の中、かかるコロナ禍の中でも求められる診断士像をお聞きしたところ「経営者に寄り添う診断士」と頂いた。今はコロナでどの企業も厳しいはず、そんな厳しいさなかで経営を任されている経営者の皆さんは、本当につらい毎日であろう。かかるコロナも必ず終息する、コロナ後にどの様な企業になりたいか?ビジョンを共有してどの様な経営をしていくのか?人・もの・金・情報をどのように活用していくのか?経営者と共有する事が大切だと、副支部長は考えている。現場を大切にする副支部長の熱い思いがあふれているお言葉である。


「経営者に寄り添う診断士」

 最後に1年目の診断士の皆さんに一言お願いした。
 「マラソンを走るときも人それぞれの走り方がある。診断士活動も人さまざま。せっかく取った資格なので十分に活かしてほしい。」

以上

【筆者紹介】

奥村 直樹 (おくむら なおき)
静岡県出身
1989年 神戸大学経済学部卒業
大手メーカー在籍
現在は日立三菱水力に出向して再生エネルギー伸長の一翼を担う
2019年 診断士登録 企業内診断士

20/10/30 18:00 | 投稿者:羽田巧

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