経営お役立ちコラム
『論語と算盤』~澁澤栄一が遺した企業経営への示唆

新1万円札への採用から2021年のNHK大河ドラマまで、昨今の衆目が高まる澁澤栄一。本稿では澁澤自身と著書「論語と算盤」から企業経営への示唆を求めてみたい。

 

1.論語と算盤

論語は、言わずと知れた孔子の言行の記録書で、儒教的道徳を説く。一方、算盤は金儲けを象徴し、一般には相容れない概念で、澁澤自身も「甚だ遠く」と評している。同時に澁澤は「甚だ近い」とも言い、続けて「利殖と仁義道徳は元来、共に進む」と説いている。つまり論語「か」算盤の二者択一ではなく、論語「と」算盤のどちらも犠牲にせず融合して「二兎を追う」挑戦をしたのである。このESGやSDGsに通じるコンセプトは当時独創的であったが、現代では広く支持されつつある。昨今の澁澤ブームには、社会が志向する方向が、澁澤の理念と揃いつつことが反映されているともいえよう。

論語と算盤のコラボを澁澤は「道徳経済合一論」と表現した。道徳こそ経済の礎と考え「真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものではない」と説いて、道義を伴った利益の追求を求めた。事業目的は社会の利益にあるべきだが、それを支える利益を企業が求め、成長、繁盛することを是とした。事業のサスティナビリティは道徳と利益の両立にあり、レイモンド・チャールズの言葉を借りれば「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」となろう。また、異なるもののコラボがイノベーションの源泉となることにも通じる。

諸外国では倫理道徳はキリスト教など宗教に基づくが、澁澤には、幼少期から儒学を通じて学んだ論語がバイブルとなった。澁澤はさらに論語の再解釈で算盤との融合を見出した訳だが、その背景には青年期に感じた士農工商に由来する重義軽利と官尊民卑思想への反発があった。士農工商はまた、武士道を引き継ぐ政官層の高いモラルと裏腹に、商業人の低道徳も生み、明治初期には欧米からビジネスモラルの低さを揶揄され、国内産業の発展の妨げにもなる状況であった。澁澤はそうした課題の解消へ、政官は算盤に、事業者は論語に学び、両社の融合を図った。

今年のブームといえば思い浮かぶ大谷翔平も「論語と算盤」の読者だ。大谷の日本ハム時代に、選手や球団スタッフに「論語と算盤」を薦めた当時の栗山監督は、選手達のチームプレイ精神を高める狙いがあったという。また自ら彼らのために動いた栗山氏が、日本代表の新監督に就任したのも「論語と算盤」と社会トレンドの符号を表徴しているのではないだろうか。また流行語大賞にもなった大谷のリアル二刀流、打者と投手の両立は「論語と算盤」とも重なる。

 

2.合本主義と資本主義

「論語と算盤」のコンセプトを澁澤は「合本主義」に集約し貫いた。より広く一般化した資本主義との違いを、ここでは資本主義を体現したライバル岩崎弥太郎との比較で整理してみよう。

まとめると岩崎の「覇道」に対し澁澤は「王道」を目指したと言える。二人が競った時代以降、日本はじめ世界的に主流となった資本主義が結果的に経済的繁栄をもたらした。澁澤も晩年、経済的繁栄では岩崎の覇道が勝ったことは認め、仮に自分も同様のやり方をすれば三菱並みの財閥を作れたはず、と口にすることもあったという。しかし、前述の世界的なESG、SDGsの流れに加え、アメリカでさえ株主資本主義の問題点が指摘され、国内でも新政権が新自由主義の見直しを掲げるなど、今後は澁澤が「合本主義」で示したコンセプトが主流となり得る兆しが見える。

 

3.経営者としての澁澤

澁澤は主義主張を貫く半面、「変わり身の速さ」にも長けていた。それは、商いも営む兼業農家で漢学を学習しながら育った生い立ちに由来し、農家から武士、維新後は官僚で活躍後に民間に転ずるというキャリアに反映された。カルチャーショックも受けたであろう訪欧時には、燕尾服を持参、行く船中で洋食に慣れ、現地で早々と髷をとき、社交の意義も知るといった柔軟性を発揮している。儒教的道徳など日本の伝統的価値を重視しながら西欧のシステムは積極的に取り入れ両面性をバランスさせることにも柔軟性が発揮された。この「変わり身の速さ」の裏には、好奇心が生む情報収集力、本質を見抜く洞察力、新しいものへの抵抗のなさ、合理的思考があり、変化が加速する現代においてより求められる資質でもある。

澁澤は事業立ち上げにあたり、自分以外の大株主を探し、運営はその適任者に任せる「プロデューサー」に徹したことで500に及ぶ事業に携われた。プロデューサー役は、科学や技術的な知識が十分でない自分の弱点を自覚する一方で、人的ネットワークの広さという強みを活かした結果である。

ただ多くの事業に携われば、創立まもなく共同出資者の小野組が破綻した第一国立銀行をはじめ、立ち上げに苦労することも少なくなかった。そうした時には辛抱強さと粘り強さも発揮したが、そこには悲観的に考えない未来志向を見て取れる。

 

4.人材活用

澁澤は「新しい時代には新しい人が必要」とし、事業を託す人に学歴や経歴を問わなかった。農家時代にも、藍葉農家との宴席の席順をそれまでの年功を破って実績順に変え、作り手の競争と動機付け醸成で藍葉品質向上に繋げている。

「私は孔子の人物観察法を最も適当であると信じる」として人材の選別に論語を応用、人材育成でも道徳を重んじた。

実務上は、若手人材は大学から採用し欧米に1年留学させて先進国の技術を習得させる一方で、会計係を自身の第一国立銀行から派遣して管理を担わせた。
また澁澤は自らも行動し、人材を育成しながら積極性に登用し仕事を任せる「サーバントリーダー」でもあった。

なお澁澤は、一橋大学の前身の東京商業学校で商業人教育を進め、「女性教育が国家繁栄の礎になる」として日本女子大の設立にも支援を行うなど、教育にも大いに貢献している。

 

5.人として

「日本の近代経済の父」と称された澁澤も聖人ではなく、後継者作りでは苦労し、後年の派手な女遊びを兼子夫人から「父様は論語とはうまいものを見つけなさった。(性道徳が厳しい)聖書だったら教えが守れないものね」と揶揄されたが、それらがむしろ人間味を感じさせる。最後にそんな澁澤が遺した言葉の多くから一つを紹介して本稿を閉じたい。

「特別に順境とか逆境とかいうものが世の中にあるのではなく、順境というのも逆境ともいうのもすべて人の心がけによって造りなされるものである」

 

鈴木 一秀

21/12/31 21:00 | カテゴリー:, ,  | 投稿者:広報部 コラム 担当

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