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(行事報告)   予定はこちらから

  厚生部では、会員の皆様の親睦・交流をはかることができるような行事を企画しております。  
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「新春に江戸の要衝を歩く」の記

「パパ、私、そのウォーキングに、参加してみたいな!」

家族に城南支会・厚生部恒例の新春行事であるウォーキングについて説明したら、小学校6年生の娘が突然言い出しました。確かに歴史の勉強にはなるけど、うーん・・・、ちょっと待って、娘にそう言って厚生部長に伺いをたてたら、二つ返事で参加を歓迎くださるとのこと。といういきさつで、澄み渡った空の下、親子そろってのウォーキングが始まりました。ちなみに今回の参加者は総勢なんと23 名!しかも概ね半数の方が、他支会から参加下さりました。

早速皇居の方角に向かって歩き始め、大手門から入り、宮内庁三の丸尚蔵館へ。ここには皇室が世界の国々との交流の中で、親善として贈進された美術品、工芸品が約8, 000 点、きらびやかに展示されていました。特にトルコ皇帝から贈られた金の刺繍でできた絨毯は、菊の紋章が中央にあしらわれた見事なものでした。

そして旧百人番所の前で記念撮影。ちなみに江戸城の正門だった大手門から、本丸に入るときの最大の検問所がこの百人番所で、 甲賀組・根来 (ねごろ) 組・伊賀組・二十五騎組の4組が護りを固め、各組に同心百人ずつが配属されていたことから、百人番所の名が生まれました。

そのまま桔梗門を通って、のどかな風景を楽しみながら散策していると、見事な庭園が目の前に現れました。皇居二の丸庭園です。澄んだ水面に木々が映った風景は、人工の庭園ながら、周りの風景と見事に調和され、心が洗われる思いでした。そして一気に天守台の上まで歩いてベンチで一服・・・。間近にみえる木々の景色と、遠くに見える丸の内や汐留地区の高層ビルが重なって、妙なコントラストを描いた不思議な風景となっていました。

そして田安門から皇居を出て千秋文庫に。ここは、旧秋田藩主の佐竹家に伝わる古文書、古地図、模写絵画、書、茶道資料などの貴重な文化遺産を集めた博物館です。ちなみに模写絵だけで488 点もの作品が収蔵され、この4月まで展示されています。

博物館を後にして、桜で有名な千鳥が淵を歩いていると、なぜか人だかりが。集まっている人に聞いてみると、婚約されたばかりの紀宮様が通られるとのこと。いい機会なので10分くらい待っていたら、それらしき車がやってきて、紀宮様が窓を開けて手を振って下さいました。まさに・・・今年は何かいいことがありそうな新春ウォーキング!厚生部の行事はここまで綿密に計算して、計画されているのです。

そして歩くこと約8キロ、銀座について恒例の懇親会。出席者はなんと20名!出席率は87%です。もちろんこれで盛り上がらない訳がありません。なぜか賞品の無いクイズ大会が始まるわ、アカペラで演歌を歌い出すオヤジはいるわ、手品で場をわかす怪しそうなおじさんは出るわ・・・。まるで芸人の集まりです。娘は手品が気に入ったらしく、丁寧に教えてもらって大満足。いろんな人に教わった手品を披露しながら、父親のことはほったらかしで楽しんでいました。

こうして厚生部の新春行事は無事終わり、参加者各々が満足して散会したのでした。帰宅途中に娘が一言・・・「パパ、中小企業診断士の人って、いい人ばっかりだね!」。

(堀 孝二 記)


「世界遺産白川郷と飛騨高山・郡上八幡一泊旅行」に参加して

 城南支会の一行17名(ご夫妻で参加5組を含む)を乗せたバスは、燃え盛るような紅葉をかき分けるようにして、中央道から野麦街道を経由、安房トンネルを突き抜け飛騨の国へと・・・御母衣湖畔を一路、世界遺産白川郷へ。

 先ず、白川郷を一望する展望台へ、多彩な色に染まる落葉樹越しに見える白川郷は、合掌造りが点在する集落である。日の傾きとともに秋色に溶け込んでいく合掌造りの民家の素朴な佇まいは、我ら旅人を何百年も前にタイムスリップさせる。

 次は、築400年、合掌造り民家として、国の重要文化財に指定されている、和田家へ向かう。中に入って先ず圧倒されたのは、磨き込まれて黒光りした大黒柱と、頭上に横たわる一辺が90cm程有るかと思える、黒々とした梁である。
 二階は、切妻に明り窓を設た養蚕作業場である。階下の囲炉裏から立ち上がる暖気で適温を保つ構造が施されている板の間が広がる。両サイドには釘を使わず、縄紐で縛り上げた太い丸太の骨組みが、煤で黒ずんでいる。室内の隅々に歴史を感じさせる和田家を後にして、明善寺の茅葺寄棟造りの鐘楼門や集落を見物し、バスは、奥美濃活性石温泉の郡上八幡高原ホテルへと向かう。

立ち上る湯気に絡みつく冷気。湯煙にいっそうの艶やかさを増すモミジを照らすスポットライト。天空に広がる星、星。山菜料理と朴葉味噌とお酒に舌鼓を打ち、語らう夜。

 翌日は一路、水と、お城と、踊りのまち郡上八幡へと向かう。
 まず、郡上八幡博覧館にてガイドさんに、宗祇水、郡上本染め鯉のぼり、郡上紬、郡上おどり等の説明を受け、大正時代の古い町並みをたどり、全国名水百選の一番手として指定を受けた宗祇水の湧水を味わう。町中を流れる水路、「いがわこみち」「やなかこみち」を巡り、いわなや大きな鯉が悠然と泳ぐ様子をカメラにパチリ、パチリ。

 子供達が飛び込む新橋。身を乗り出して川をのぞきみる。12mという高さと、むき出しの岩肌に足がすくむ。幼年から少年への憧れと戸惑い、そしてためらいを蹴飛ばして飛び込む。清冽な夏の日の想いを水面に馳せ、郡上八幡をあとにする。

 次は飛騨高山へ、飛騨高山美術館見物グループと、町並み見物グループとわかれ、今回の旅最後の見物に繰り出す。われらグループはまず、高山屋台会館を見物。「秋の高山祭」で曳かれる11台にうち4台が展示されている。丁寧な説明付きで、豪快な屋台をじっくり鑑賞した後、隣接する桜山日光会館を見物する。左甚五郎たちによって制作された「日光東照宮」を細部に至るまで忠実に再現された実物1/10の模型は見事である。

 観光客で賑わう上三之町の町並みは、間口の狭い町家の低い軒がつながり、黒っぽい格子が続く。幅の狭い通りの両側に並ぶ食事処や土産物屋を通り抜け、幕府の天領として栄えた高山陣屋を訪れ、高山の歴史に触れる。最後は、数多い漆器の中でも、木目の美しさを生かすことで名が知れた春慶塗りが展示されている、飛騨高山春慶会館を訪れる。

見所盛りだくさん、おいしい山菜料理と、お酒、露天風呂と、楽しい旅行も無事終了。皆さん大満足だったと思います。厚生部幹事さんに感謝いたします。

(安竹喜太郎 記)

城南支会45周年記念研修旅行中国東北部周遊記(2004.9.3〜9.7)
 「ANA大連行きNH−903便は、軍事訓練による空港閉鎖のため、出発が45分遅れます」。
 成田空港のこのアナウンスから今回の「支会創立45周年記念・中国東北部周遊研修旅行」が始まりました。共産圏でありながら急速に自由化が進んでいる中国、私にとって不思議な感じの残るその国に、一度は行ってみたかったのですが、今回参加された方それぞれに、昔訪れたことがある、生まれ故郷である、といったいろんな思いがあったことを、旅行中に聞きました。4泊5日の間、中国東北部(旧満州)を飛行機と鉄道を使って一周する旅に、楽しい時間と思い出を作るために不可欠なのが旅行仲間です。夫婦6組、単身参加4名、計16名という絶妙のバランスとなり、加えて他支会の方の参加もあり、バラエティーにとんだ面々となりました。

【大連・旅順】
 成田からの直行便で3時間、日系企業の進出が盛んな大連に到着。空港には様々な注意書きの看板が中国語と英語で併記され、早速旅行気分に。中国では感覚的に漢字の意味がわかり、筆談がスムーズに通じるので、話せなくても案外困りません。
 入国手続き後バスに乗り込み、早速、大連から車で1時間弱の旅順に。いきなりクライマックスです。兵どもも夢の跡かな・・・。日露戦争最大の激戦地である203高地からかすかに見える旅順港を前にして、戦争で犠牲になった方々への哀悼の意と感謝の想い、歴史の重さを感じました。
 旅順では乃木−ステッセル両将軍の会談が行われた水師営会見所、ロシア軍が保塁を築いた東鶏冠山を見て大連に帰り、市内観光。大連は比較的歴史の浅い都市で、日本が作った街の形跡がまだ残っています。今は勝利橋という名前に変わった旧・日本橋や、中山通りに変わった旧・山県通り(山県有朋にちなんで)等など。ちなみに大連駅は上野駅がモデルになっています。
 大連での最後の観光地、大連港(中国では上海に続く第2の規模を誇る)の旅客ターミナルから見える高層の百貨店や、開発区で建造中の高層建築物群に、この国の潜在的な力を感じました。

【ハルピン】
 大連から国内空港線で最北端の大都市ハルピンへ。ロシアが作った街並みは白と薄いレンガ色で統一され、東欧諸国のような景観でした。
 聖ソフィア教会などの有名な教会を周って、スターリン公園で散策を楽しみ、夜は新宿のような繁華街でのロシア料理。翌日は長春に向けて初めての鉄道の旅、オリエントエクスプレスのイメージを抱いていたのですが・・・。

【長春(旧・新京)】
 ハルピンから長春まで特急列車で2時間の旅。始発で指定席なのになぜか席は満杯。指定席でも座れれば座るというのが彼らの考えのようです。列車を降りるときも平気で乗り込んでくる人たちと、体を張っての力勝負になんとか勝ち、無事に列車を降りた瞬間、「まるで疎開のような風景」とみんながつぶやいていました。
 そういえば中国では、たとえ片側4車線以上の道路でも、平気で人は渡ります。信号も横断歩道も極端に少なく、人であろうと車であろうと、ずうずうしいほうが勝つとのこと。日本人はおそらく一人では渡れないと思います。両国民、外見は似ていても思想や自己主張の表現方法には大きな違いがある、と感じました。
 長春は杜と工業と映画の街です。満州時代の首都で当時の名前は新京、清朝のラストエンペラーで知られている溥儀の宮殿を訪れ、当時の皇帝生活を体感してから、皇帝気分のまま長春映画製作所に。
 中国全般に言えることですが、国営企業は概ね斜陽化の道をたどっており、この国営の製作所も例外ではありませんでした。歴史は感じたけど、丁度そこに飾られていた中国映画史に残るスター達のセピア色の写真のように、だんだんと色あせてきている感じを受けました。そして数多く残っている国営の軍備施設も、今では大学やいろんな施設に変わってきています。

【瀋陽(旧・奉天)】
 長春から列車で3時間かけて瀋陽に。今度はグリーン車で、前日とは打って変わって快適なエクスプレスの旅。とうもろこし畑一色の景色と、どこまでも真っ直ぐなレールは中国の大きさを感じます。経験から言えることですが、スーツケースを持ち歩く列車の旅には、絶対グリーン車の使用をお勧めします。
 瀋陽は、清朝時代の興隆を物語る遺跡があちこちに残っている歴史を感じさせる街で、満州時代の名は奉天。東北三省の中で最大となる、市内人口だけでも720万人の巨大都市です。
 最初に訪れた北陵公園は、歩いて一周すれば軽く12時間はかかるという莫大な敷地に、清朝時代の第2代皇帝と皇后を祀った隆墓があります。続いて訪れた瀋陽故宮は、清の初代皇帝である太祖ヌルハチが都を瀋陽に移した際に創建された王宮で、2代目皇帝の太宗ホンタイジもここに住んでいました。その皇居は、満・漢・蒙古族の文化芸術を見事に折衷して作られており、今でも瀋陽を紹介する際に多く使われる建造物です。
 そして中国での最後の夜を飾るメニューは老辺餃子店。辺さんという方が160年前に始めた、中国東北地方で一番美味しいと評判の店です。ビールと紹興酒と10数種類の餃子。ここの餃子は、ほとんど蒸しているので、いくらでもお腹に収まってしまいます。その後の中国最後の夜は各々が自由行動。私は中国式マッサージで足の疲れをとり癒された気分のまま床に就き、翌日、開通したばかりの瀋陽からの直行便で成田に到着しました。

 最初はどうなることかと思った5日間にわたる研修旅行は、天候にも恵まれ全員無事に、そして各々が各々の思い出を作った素晴らしい旅行になりました。旅行に欠かせない添乗員は日通旅行から1名、加えて各都市での中国人説明員とは別に、われわれと行動を共にしてくれた中国人添乗員も付いてくれ、買い物や自由行動の時間に大変たすかりました。
 最後に数々の素晴らしい経験と思い出を与えてくれたこの研修旅行を、企画・実現して下さった厚生部の方々に、心からの感謝をしながら筆をおきます。
(堀 孝二 記)

「筑波山」ハイキングとガマ祭りに参加して(2004.8.1)
 朝の7時、眠い眼をこすりながら東京駅へ集合しました。明け方まで仕事をされていた方、明け方まで飲まれていた方、色々な事情を抱えながら遅刻をする人もなく定時(7時20分)に出発です。
途中高速道路で渋滞にあいましたが、まずは筑波駅に無事到着、バスを乗換え最初の目的地は、縁結びや夫婦和合の神をまつる筑波山神社です。全員神妙な面持ちで参拝した後、ケーブルカーで一気に筑波山の鞍部まで上ります。ちなみに筑波山は、女体山と男体山を総称した名前で、筑波山という山はありません。
 ここからがいよいよハイキングです。まずは男体山より6m高いという女体山(876m)に全員が挑戦しました。だらだらと登りが続きます。足が良く動く方も、口は動くが足はそうでもない方も、全員が無事に山頂へ到着しました。山頂では360度の大パノラマに、今までの疲れが癒され大満足です。帰りは途中の広場で、厚生部先輩寄贈のコンロで幹事が準備していったコーヒーを沸かし、お茶菓子、おむすびで一休みです。
 ケーブルカーの山頂駅に戻り、今度は有志のみが男体山に挑戦しました。勾配はきついが高さが低いので登り、降りの早い男体山でした。
当日はガマ祭りが行われており、あちらこちらからガマの油売りの口上が聞こえてきます。それを聞きながらのご帰還でした。口上に圧倒されたのか、1個300円の「ガマの油」はあまり売れていなかったようです。あ!そうそう「ガマの油」の成分を尋ねてみましたが、企業機密ということで教え
てもらえませんでした。
 久々に心地よい汗を流し、心と体のリフレッシュができた厚生部の企画は、大満足の1日を与えてくれました。
 (村田 和彦 記)

「目黒駅界隈史跡・神社仏閣・美術館巡り」に参加して(2004.6.5)
 「この木像・・・なにを訴えているのかな?」
 顔を近づけて2、3分、心で会話してみると何か聞こえてくる時もあるし・・・全く感じてこない時もあります。木像の数はざっと五百体以上、もちろん全ての木像に語りかけることは大変ですが、じっくりと見ながら語り合っていると、知らない間に今日の見学仲間から離れて、一人で木像に向かってブツブツ言いながら、にらめっこしていました。
 ここは天恩山五百羅漢寺、目黒駅から徒歩12分くらいにある由緒あるお寺で、元禄時代の松雲元慶禅師が十数年かけて作り上げた木像が「目黒のらかんさん」として親しまれている羅漢像です。毎日通勤で通過している駅の界隈にこんな所があるのだなあと思いながら眺めていると、見学時間があっという間に過ぎ、次の見学場所である目黒不動に移動しました。
 6月5日快晴、天気予報では翌日からたぶん梅雨入りするであろうと言われていた絶妙のタイミングで城南支会・厚生部主催の「目黒界隈史跡・神社仏閣・美術館巡り」が企画されました。都内で有名な観光地は、最近の都市型アミューズメントを除けば浅草くらいかなあと思っていたので、内心あまり期待せず参加したのですが、そこは診断士の端くれ、今日の一日を有意義な時間にしなければ!と思い、自分なりに気合をいれて見学していました。
 目黒の駅に集合したのが午後1時、「うーん・・・生ビールまでにはまだだいぶあるなあ」と思いながら最初の見学地、行人坂にある大円寺に着きました。江戸の三大大火の火元であるここに、犠牲者を供養する石仏が五百体以上あり、みんな違う表情でした。それから冒頭の羅漢寺、目黒不動と初夏っぽい日差しの中ゆったりと歩き、記念写真をパチリ。それから次は(意表をついて?)目黒寄生虫博物館。とても小さな博物館だけど、なんといっても世界でオンリーワン。やっぱりオンリーワンは強いのです。館内はカップルで溢れ、4、50人くらいワイワイガヤガヤ。たしかに珍しい標本やら写真が並んでおり、ここでも見学時間が足りませんでした。なかには刺激的な写真もありましたよ、興味ある方はぜひ足をお運びください。
 そして美的感覚のまったく無い私にとって、意味があるのか不安であった目黒区美術館に到着。当日は「小林孝旦展−終わらない夏」というイベント・・・とは言ってもさっぱりわからない私にとって、なんと素晴らしい手回し!団体の強みを発揮して、厚生部長が予め、館員の方に説明を依頼下さっていたのです。絵も最初は写実的な基礎レッスンばかりだと思います。そこから自分の世界を表現していく課程に価値があるのかなと思います。でも悲しいかな、絵心のない私にとって見ただけではわからない所をしっかりと説明下さり、彼の生活背景や心の葛藤がなんとなく感じ取れました。
 そしていよいよクライマックス!とはいっても懇親会なのですが場所は静安飯店。中華家庭料理が評判のお店です。のどをカラカラにして、この一瞬に命をかけていた(超おおげさ!)私にとって待ちにまった一瞬です。生ビール大ジョッキ!!約3分の1を一気に飲み干して美味しい中華料理を肴に楽しい歓談のひと時。加えてここの紹興酒は天下一品です。とにかく天気とコースと段取りとそして適度のお酒!それから忘れてはならないのが素晴らしい診断士仲間です。今回もまた厚生部の企画は大満足の1日を与えてくれました。
 (堀 孝二 記)

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